【写真展】26歳の女の子が見た世界の景色|僕が彼女を追いかけるたった一つの想いとは

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【写真展】26歳の女の子が見た世界の景色|僕が彼女を追いかけるたった一つの想いとは

こんにちは、そうま(@Soh0806)です。

突然ですが今日は、僕の大切な友人について紹介させてください。

僕には、何かを始める時にいつもきっかけを与えてくれる人がいます。

その人は、いつも自分の前を歩いていて、まっすぐな想いを持って突き進んでいくパワフルなエネルギーの持ち主です。なんとその子は、世界二週を成し遂げ、650日間59カ国もの世界の国々を旅してきました。

その子の名前は「はるか」と言います。

今回、そのはるかが世界を旅した写真を使って、東京の高円寺で写真展を開催することになりました。日付は2018年1月13日(土)、東京高円寺にあるスマイルアースというカフェ&バーで行います。

イベントページはこちら:ー写真展ー 26歳の女の子が見た世界の景色

この写真展は、「はるかが生きた証を一つの形にしたい。」という僕らの想いで開催を決意しました。

それで、今回はるかという人はどういう人だったのか、そしてその彼女を追いかける僕の想いについて少し綴らせてください。

 

小野晴香(おのはるか)プロフィール紹介

小野晴香(おのはるか)、1989年5月2日生まれ、愛知県一宮市出身。

大学卒業後、養護教諭の先生として勤務した後、2013年9月〜2014年7月に渡り世界一周の旅に出掛ける。その後、福岡を拠点に次の旅の資金を貯め、世界2週目となる旅へ行き、累計650日間59カ国もの世界の旅を成し遂げます。

彼女の生き方は全てにおいて、「今を全力で生きる!」という強いエネルギーで溢れていて、自分で口にしたことをことごとく実現させていく強い心と行動力の持ち主です。

印象的だったのが、「100夢リスト」という自分の夢として叶えたい100個の項目を紙に書き出し、それを一つ一つひたむきに達成していく姿。その内容には旅に関すことや、ハードルの高いアクティビティ、自分の内面に関することまで事細かに書いて、それを達成するたびにペンでなぞって、達成した日付と結果を記していました。

彼女は、そのように「誰よりも今を大切に生きていた」そんな女の子です。

 

僕にとってのはるかという存在

今から4年前の夏、僕がちょうど23歳の時にカンボジアのボランティアツアーではるかに出会ったのが始まりで、年齢と仕事がお互い一緒という背景から次第に仲良くなっていきました。

富士山に登る!といえば、僕もやり、フルマラソンやる!といえば、僕もやり、旅の講演イベントをやる!といえば、僕もやり・・・という風に、

いつも”常に一歩前へ踏み出しているはるか”と、”はるかを追いかけることで力を得る自分”がそこにはありました。

僕にとって、はるかは親友であり、ライバルであり、家族のような存在です。

なんでも話せる親友のような気持ち
お互いを高め合えるライバルのような気持ち
お互いを大切にしあう家族のような気持ち

いろんな感情が混在している、生涯で出会うべくして出会えた人だと思っています。

 

彼女は一旦旅をやめて、休むことにしたそうです。

その時は突然訪れた。

亡くなる直前にみたナミブ砂漠の景色

2016年1月28日、彼女はナミビアのナミブ砂漠で不慮の交通事故のため命を落としました。

当時の彼女の年齢は26歳です。

あまりにも突然の訃報だったため、困惑し何も信じられませんでした。

 

「あのはるかが死ぬなんて!」

ついこの前までやりとりしていたメッセージが届かない、LINEが既読にならない。

いくら送っても送っても、返事がない。

「2月には日本に帰るよー!また帰ったら、福岡で会おうねー!」

と言っていたはずなのに。

 

「頼むから嘘と言ってくれよ。」

いくらやっても、僕の言葉は彼女に届きませんでした。

 

「どうして、はるかは死んでしまったんだろう。」

頭の中でそのことを受け入れるには、とても時間と労力が必要でした。

それを認めることは、自分の中にある軸の一つが壊れてしまいそうでとても怖かった。

「もう会うことはできないんだ。」

そのことを実感した時に、色んな思い出がよみがえってきて、涙が止まりませんでした。

 

「誰よりも毎日を全力で生きたあいつが、こんな簡単に死んでしまうなんてありえない!」

このもどかしい気持ちを、自分の頭の中で処理することは到底できませんでした。

ただただ”死”について考えるのが苦しくて、自分の中ではるかが死んだということは未だ認めることはできていません。

今でも彼女は、世界のどこかで旅をしているんだって思っている自分がいるんです。

 

 

102人の方のメッセージを形にしました。

葬儀の場所で展示させてもらいました。

2016年2月11日、彼女の実家の一宮市で葬儀が執り行われました。

僕は、その葬儀に向けてはるかへのメッセージアルバムを作成するプロジェクトを仲間と一緒に立ち上げました。

日本のはるかの友人はもちろん、世界を旅した中で出会った友人にも、いろんな方へ協力を依頼してLINEやFacebookを通じてメッセージを集めました。

そして、その言葉一つ一つをつなげて、写真と一緒にアルバムにしました。

皆さんからいただいた言葉に共通してあったメッセージは、

”明るい笑顔” と ”誰よりも今を生きていた”

というはるかへの強い印象です。

そして、一つ一つのメッセージには、「これまでたくさんありがとう。」というはるかへの感謝の気持ちと、「私も頑張るね!」というはるかに感化された決意の言葉で溢れていました。

なんだか亡くなった人への言葉とは思えないぐらい、これからの明るい希望を語ってくれる人がたくさんいたのです。

葬儀場で展示されたメッセージと写真の数々

 

僕たちは、はるかの生きた証を形にするようにしました。

富士山へ追悼登山

2013年8月初めての富士登山

僕にとって、初めての登山は富士山。その時一緒に登ったのは、はるかでした。

3回目になる富士登山は、まさか、彼女への追悼登山になるとは思いもしませんでした。

その時は友人2人と一緒に登りましたが、当日の天気はあいにくの台風が直撃し、7合目まで行き途中で断念してしまいました。

7合目からの朝日
はるかの写真と腕輪

 

福岡で写真展を開催

2016年9月には、福岡のお世話になっているお店で仲間と一緒にはるかの写真展を開催しました。

その写真展のタイトルは、『26歳の女の子が見た世界の景色』

はるかが59カ国の旅の間撮影した世界の景色を整理して、その写真を写真展という形で開催したのです。

開催地の福岡だけではなく、はるかの地元愛知県、遠方では東北や東京からも多くの人達が集まってくれました。

そこには、はるかのことを初めて知る方もいらっしゃって、「はるかさんの生き方から強いパワーをもらいました。」という嬉しいコメントを沢山いただきました。

はるかの手帳とパスポート
沢山の方が来てくれました。

 

はるかの旅は、また再開します!

僕は新しい生き方を歩み始めました。

アルバイト・社員生活合わせて9年間勤めていたマクドナルドを退職し、2017年4月からセブ島留学を半年間行って来ました。

僕には元々世界一周をしたいという気持ちはあったものの、「お金が用意できないから、今はする時期じゃない」と勝手に理由づけしていたことで、その想いを閉ざしていました。

しかしはるかが亡くなったことで、「もし今自分が死んだら、後悔しないか?」と自分に問いかけることで「自分のやりたいことを実現させる為に、今できることを行動していこう!」と決意するようになり、まずは会社を辞めることにしました。

そして、世界のどこにいても稼ぐスキルを身につけよう!と考えて、そのようなスキルを身に付けられるセブ島のアクトハウスという学校で英語・IT・ビジネス留学へいく目標を立てました。

会社を辞めるまでの間お金を貯める為に必死に頑張りましたが、いろんな壁があり結局全ての留学費用を貯めることはできなかったので、大方の学費はローンで行くことにしました。

また、ありがたいことに資金面の援助や応援してくれる友達が近くにいたおかげで、今年の4月3日にセブ島で飛び立つことができました。

僕にとってのセブ島での6ヶ月間の留学期間は、全てを投げ払って決死の覚悟で来たいわば”背水の陣”でもありました

それから留学後、自分の頑張りといろんな方のご縁から、会社員からフリーランスへ無事にシフトチェンジすることができ、今に至ります。

<セブ留学始まりの投稿>

<留学半年間を振り返っての投稿>

<留学期間過ごしたまとめの記事>

海外フリーランスになるためにセブ島留学アクトハウスで6ヶ月間取り組んだ5つのこと

はるかの生き方をもっと多くの人に知って欲しい

なぜ僕が世界を旅をしたいか?

元々は、はるかの行動に影響を受けて世界の絶景や文化を肌で感じてみたいという理由でしたが、

はるかが亡くなってから、世界を旅したはるかの生きた足跡を自分の足で辿りたいという想いに変わりました。

そしてそれを形にする為に、はるかの生き方を伝える本を出版したいと思っています。

題して、はるか本(ハルカボン)です。

とにかく今の自分は、はるかが旅した世界をこの目で見たい!そして、はるかという人がこの世にいて今の自分があるんだということをたくさんの人に知ってもらいたい!という想いが一心にあります。

その一つとして、今インスタグラムで、Harukabonprojectという名前で、はるかが実際に世界を旅した写真を投稿しています。良かったらフォローしていただけると嬉しいです。

写真展東京開催に当たって

スマイルアースオーナーの吉田有希さんと

はるかの友人であるTABIPPOの旅大学学長の恩田倫孝さん(@MichinoriOnda )から、高円寺にあるカフェ&バーのスマイルアースのオーナー吉田有希さん(@SmileEarth0514)をご紹介していただき、東京での写真展開催が決定しました。

吉田有希さんのご好意で、写真展イベント開催後の食事会に30名以上来ていただけたら、写真を1ヶ月間展示していただけることになっているので、もしよかったら当日足を運んでいただけるととても嬉しいです。

そして、家族や友人にもぜひ広めていただけると、とてもとても嬉しいです。

<日程>

  • 2018年1月13日(土)
  • 開始時間15時〜(受付14時半〜)
  • 食事会18時〜(予定)

詳しいイベント情報はこちら

 

最後に

”人は死んだらおしまい。”

言い方は悪いですが、これは真実です。

だけど、死ぬときにわかります。

「その人がどんな生き方をして、何を残してきたか。」

そして、残された今を生きている人たちは、亡くなった人からいただいた想いをつなぐために、今を大切に生きるようになります。

 

”毎日後悔しないように生きていけるか”

これまで、僕が追い続けた目標だった人は、永遠に僕の中で追いかける存在になりました。

僕は、その追い続けた先にどんな景色があるのかを見てみたい。

だから、これからも発信していくんです。

はるかの旅は、まだまだ続きます。

今も世界のどこかで旅をしているんです。

 

この記事を書いた人

吉本 壮馬
1990年1月6日生まれ 現在29歳
高校卒業後、2011年3月(株)日本マクドナルドに21歳で入社、25歳で店長に昇格。友人を旅中に亡くしたことがきっかけで世界一周を決意し、場所にとらわれず仕事をするスキルを学ぶべく、2017年4月セブ島IT留学へ。在学中に学んだWordpress・ライティング・SEOの知識を生かして個人ブログサイト「そーまっく」を立ち上げる。
同年9月、半年間の留学を終える頃に、DMM留学・世界一周メディアセカパカの記事執筆依頼を受ける。現在は、記事の執筆・編集に加えて、webマーケティングに携わりながら、フリーランスとして活動中。セブ島生活2年目に突入

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