そーまっくのプロフィール

そーまっくのプロフィール

こんにちは。
数あるブログの中で、当ブログサイト:そーまっくにご訪問いただき、ありがとうございます!

ここでは、運営者である僕の詳細なプロフィールについて書かせていただきました。

良かったら最後まで見てもらえると嬉しいです!

  1. 大まかな経歴
  2. これまでの生い立ちー家族のこと、宗教のことー
  3. マクドナルドでの青春
  4. きっかけを与えてくれた一人の女の子
  5. 大切にしている価値観・考え方
  6. 今チャレンジしていること・将来果たしたい夢

 

1. 大まかな経歴<4つの人生の転機>

  • 名前 :吉本 壮馬(よしもと そうま)
  • 誕生日:1990年1月6日生まれ、午年(現在29歳)
  • 出身:福岡県福岡市早良区

誕生〜小学生:キリスト教(エホバの証人)を信仰する家族(父親以外)の一員として誕生。家族から愛を注がれながらスクスクと成長する。

中学生:初めての反抗期。この頃から、少しずつ自我が芽生え出し、宗教上の理由で特定の学校活動に参加できないことに親に不満を言うようになる。が、、中3で高校を決める際に、宗教活動に身を捧げること(洗礼を受ける)を決意する。

高校生:学校は定時制の学校に通い、空き時間は布教活動に時間を費やす。世の中の考え方・風潮とはかけ離れた聖人(あくまで自分目線)としての生活を送るようになる。

バイト時代(18歳〜):高校卒業後、マクドナルドのバイトを始める。他にも新聞の集金などを一緒に仕事をし月10万ぐらいの収入でやりくりをする。これも、日中や週末の時間を、布教活動に当てるためだった。

転機その①19歳:初の自動車事故(居眠り事故)を起こす。国道で60キロ飛ばしたまま、信号停車する車線へ突っ込み、3台の玉突き事故。その時たまたま兄貴の車を運転してた関係で、年齢制限に引っかかり保険が効かず多大な借金を親に肩代わりしてもらう。しかし、不幸中の幸いで自分も含めて他の乗客もかすり傷程度で済む。

転機その②19歳〜21歳:そこから借金返済もあり、少しずつバイトに明け暮れるようになる。その当時のバイト先の店長が、僕に大きな影響を与える。かなりの強面の店長で、仕事への厳しさ、能力の高さがピカイチで、僕自身の価値観・考え方に今までにはない衝撃を受ける。その店長から言われたある一言で、マクドナルドに就職することを決意。

転機その③21歳:21歳で就職先の店舗で知り合った人と恋に落ちる。彼女との一線を超える経験をしたことから、宗教的に破門を受ける。そうして、クリスチャンとして生活している家族(父以外)と友人との縁が切れることになる。それから一人暮らしを始め、新しい人間関係を築くようになる。

21歳〜26歳:マックの仕事に明け暮れる日々。23歳で直営からフランチャイズへ転籍。バイトの子から『マックが恋人』と言わんばかりに評価されるぐらい、マックバカに。楽しく仕事に熱中し続けることで、25歳で店長に昇進。次第に、マックの中での将来を思い描くようになる。

転機その④26歳:人生で一番影響を受けた大切な友人を不慮の事故で亡くす。このことから、時間が有限であること、残された人生の送り方を真剣に考えるようになる。そこで、当時その友人がしていた「世界一周」を自分自身もやってみたいという夢を掲げ、会社を退職することを決意する。

27歳:無事に退職をしてセブ島IT留学へ。ずっとSNSでチェックしていた、セブ島留学アクトハウスへ行くようになる。「なぜ留学を始めたのか?」その理由は、旅をしながらお金を稼ぐスキルを身につけるため。その当時、様々な投資などに足を突っ込んでいたため、お金を浪費していた。貯金については皆無。

27〜29歳:セブ島を拠点に、フリーランスとして活動中。主な業務はライター/編集/メディア運営/Webマーケティングなどを扱っている。

今後は、少しずつ海外の拠点を移しながら、ゆっくりとしたペースで世界一周を果たす予定です。

 

ここからは、少し詳細にお伝えします。

2. これまでの生い立ちー家族のこと、宗教のことー

2017年3月 父の実家の宮崎にて

一人の人間として認められたかった

家族構成は、父親・母親・姉・兄・自分の5人家族です。

兄・姉とは7つ6つ離れていて、僕は甘えん坊の末っ子です。家族みんな仲良く、平和に暮らしていました。

僕はどちらかというと父親に似ていて、何かと人とペースを合わせられなかったり、笑いのつぼが人と違ったり、何かにハマると、とことん好きになるといった、そんな性格を持ち合わせています。

母親は、本当に感情豊かで、優しく、人への愛で溢れている人でした。最大の特徴は、なんでも人に贈り物をすることです。「これ要らんやろ〜(例えば、雑巾とか)」って言うぐらいの家にある物というモノを、お客さんが来るたびに贈りつけていました(大半はちゃんとしたものでしたけどw)。

兄と姉は、母に似ており社交的で気遣いに溢れ、コミュニケーション上手です。ザ・人気者タイプですね。

僕は子どもの時から、そんな兄と姉に対してコンプレックスを抱いていました。
というのも、僕はどちらかというと一人を好むタイプだったので、「兄と姉みたいなオープンマインドにはなれないけど、そうしないと家族の仲に入れない」という葛藤が強くありました。

子どもの時から、家族に甘えて、兄・姉の影によく隠れていたので、「○○くん、○○ちゃん(兄と姉の名前)の弟」という周りからの感覚が強くて、「よしもとそうま」という一人の人間として認められるには、かなりの時間がかかりました。

 

宗教内の自分が、一番自分らしくいられた

(2016年の1月 26歳の誕生日にて初めて父とお酒を飲んだ時)

僕の家族は、父親以外「エホバの証人」というキリスト教の信者で、子どもの時から家族みんなで聖書を勉強していました。

週3回、集会と呼ばれる聖書の勉強会に出席する必要があり、そこには、僕と同じ年代の子から、20代のお兄さんやお姉さん(みんなイケメン・キレイ)、50代以上の高齢の方まで、様々な年齢層の人たちが60〜80人ぐらい(※地域によって人数は異なる)集まっていました。

毎回の集会では、2時間程の時間を使って、聖書や聖書からの出版物(その宗教が発行する物)を定期的に勉強し、お互いに自分の意見を発表し合います。
子どもの時から、マイクを使って大勢の前で自分の意見を発表すること、演壇に立って聖書から5分程の話をすること、知らない人の家を回ってピンポンを押して聖書から話をすること、等、今振り返るとよくやっていたなぁ・・ということばかりしていましたw。

でも、このおかげで、人前で話をする力、言葉を組み立てる力、文章を考える力など、子どもの時からかなり鍛えられていたと思います。

あと、普通に楽しかったんですよね..。こうやって言うのは、変に聞こえるかもですが、その宗教内には良い人しかいないんです!
みんな優しくて、キラキラしてて、、今でも「あの人に会いたい、今の近況を報告したい!」って思います。そこには親友もたくさんいました。



自分のやっていること(聖書を勉強したり、祈ったり、布教活動したり)が、〝宗教活動〟としての一環であるという認識を覚え始めたのは、小学6年生の時でした。

誕生日を祝えなかったり、部活動や、恋愛、学校の友人との交友関係さえも宗教内だけで制限されるなど、できないことが多くて、ひたすら悩みました。元から人目をかなり気にする性格が相まって、見えないところではコソッとその規則を破ってはいましたけどねw(が、その分良心を痛めていた)。

それから、中学3年生の高校の進路を決める時に覚醒し、宗教の道を極めることを決意しました。

そのように決断したのは、「宗教内の自分が一番自分らしくいられる。そして、何よりも家族が喜んでくれる」からでした。

それだけ、僕にとってのアイデンディティは、家族と宗教で構築されていたんです。

そうして、高校1年生で洗礼を受け、クリスチャンとして品行方正な清い生活(?)を送っていました。
実際、そこでの経験は楽しく、充実していて、今でも自分の財産だと思っています。

でも、端から見ると「洗脳されていた」で、おしまいですけどねw。

18歳で高校卒業後は、布教活動をメインとした生活を送るため、バイトをすることに。

そこでバイトをしていた”マック”での経験が、やがて自分の人生を大きく変えることになりました。

 

3.マクドナルドでの青春

バイト時代のある店長との衝撃的な出会い

当時、バイトしていた時の店長が、バリバリ関西弁で、見た目がヤクザと思ってしまうぐらいの風貌の持ち主で(あくまでその当時の印象です笑)、かなりしごかれていました。
この店長のようなタイプは、あまり自分の中では出会ったことがない人で、その威圧感に耐えきれず、正直すぐに辞めようとしていました。
しかし、この店長は人の限界を見極めるタイミングが非常に上手く、いつも辞めようと思う時に僕をフォローする話をしてくれました。

今思っても、これだけ人の心を見透かす人に会ったのは、この店長が初めてです。

やがて、この店長の思うがまま(?)、居眠り事故を起こしてお金を稼ぐ必要もあったことから、マネージャーに昇進し、更にバイトにのめり込むようになります。
すると、次第に自然と宗教への想いは薄れるようになり、だんだんと活動はおろそかになっていきました。

この店長には、元々、僕の宗教上の事情や悩みについて話をしていたのですが、ある時、「自分はこれからどう生きていけば良いか悩んでいる」と打ち明けると、こう話してくれました。

店長
お前は宗教に固執する必要ないと思うで。壮馬には壮馬にしかない魅力がある。

この言葉に大きな力をもらった僕は、思い切って宗教活動を辞めることを決意し、そのままマクドナルドへ社員登用という形で就職することになります。

店長について詳しくはこちら👉夢を追いかける自分へ。昔も、今も、未来も、変わらないひとつのメッセージ

 

就職して、やがて恋に落ち、宗教から破門される

2011年3月、21歳で日本マクドナルドへ就職。

仕事については、色々と壁にはぶつかりましたが、根っからの「マック馬鹿」や「お店が恋人」と、従業員に言われるぐらい、のめり込み、無我夢中で取り組みました。
「誰にもマックへの情熱は負けない!」という精神で一つ一つの仕事に取り組んでいました。

そうして仕事をする中で、ある一人の女性に恋をします。
この時に初めて一線を超えることで、聖書中のルールを破ることとなり、正式に宗教上破門となりました。
このペナルティとして、今までの宗教内で築いてきた人間関係(家族を含む)が一切なくなってしまいます。

それから、家を出た僕は一人暮らしが始めました。22歳の時です。まさに0からのスタートです。

その時の夏に、ふと空を見つめた時に「カンボジアへ行こう!」と決意したことが、人生の転機になります。
カンボジアについて詳しくはこちら👉僕の旅の始まり〜分岐点になった国カンボジアを振り返って〜

もうあれから、7年が経とうとしていますが、家族(母・姉・兄)、これまでの友達とは今でも疎遠な関係です。

 

店長になり人への見方が変わる

マクドナルドでの自分の仕事のスタイルは、”正しいこと”を貫き通すというもので、「従業員に理解してもらうためならどんな努力も惜しまない。」という感じで働いていました。

簡単に言うと、バイト先にいるとうざったい熱血社員ですw。

このスタイルは、あくまで仕事上の自分として演じていて、本来の性格(あまり自己主張しない・平和を好む)とはほぼ真逆でした。

仕事内では、よく従業員と衝突していましたし、その度に落ち込み、悩んでいました。
従業員から追いかけられたり殺されたりする夢をよく見て、うなされていたこともありました。
しかし、次第にメンタルは強くなり、”自分は正しいことをしているんだ”っていう自信や誇りを持つようになりました。

しかし、店長になってから、そんなワンマンプレイに近いやり方では、従業員はついてきてくれません。
良いお店、良いチームを作れず悩んでいた時に、上司から7つの習慣「第5の習慣:理解してから理解される」の重要性について教えてもらったことがありました。

会社の上司
大切なのは、決して自分の目線ではなく、相手の立場に立って、感情移入を加えながら良き理解者となることだ。

この考え方に新鮮味を覚え、それから少しずつ仕事のやり方が変化していきます。

  • 相手に何かを求める前には、まず自分は何ができるか?
  • 相手に何かを理解してもらう前には、自分は相手のことをどれだけ理解しているか?

改めて、一人一人の従業員のことをもっと知るように意識すると、心から感謝する気持ちを持てるようになりました。そして、少しずつ従業員からも自分自身のことを理解してもらえるようになり、自然にチーム力が向上していきました。

店長経験は約2年間弱でしたが、最高に最高に楽しかったです!
バイト入れると9年、社員歴トータル6年間、最高に充実した、まさに自分にとっての青春時代でした。

 

4.きっかけを与えてくれたある一人の女の子

親友、ライバル、家族。

彼女の名前は、小野 晴香(おの はるか)。

愛知県出身。同じ年。一応付き合った経験もあり(ほんの少しだけ)。
別れてからも、親友・ライバル・家族のように仲良くしていました。

彼女とはカンボジアのボランティアツアーで出会い、それから約3年半の付き合いでした。

彼女は、世界一周を2度も達成する強者です(約650日間、59ヶ国を旅する)。
そして、好奇心に駆られた時の行動力が凄まじく、日本でも旅中でも常に色んなことにチャレンジしてきました。
☆ヒッチハイク・フルマラソン・ヨーロッパ巡礼・キリマンジャロ登山・バンジージャンプなど

僕は、彼女の影響から色んなことに挑戦してきました。

「常に自分の前を行く」彼女を見て、自分も世界一周の旅をしたいと次第に強く思うようになります。
今の自分の突拍子のない行動力は、まぎれもなく彼女からの影響が大きいです。

そうま
はるか〜、俺これしようか迷ってるんだよねー。。
はるか
そうま、迷ってるんならやろうよ!面白そうじゃん!

2人でいれば最強だと思った。
何でもできる。何にでもなれる。

急にその時は訪れた。

2016年1月30日
ある時、カンボジアにいる友人からLINEで連絡がきました。

「はるかが、ナミビアで交通事故で亡くなった。」と。

はじめ、
何を言ってるかわからなかったけど、

その後、はるかの共通の友人からの連絡が何通も届いたこと、はるかのFacebookにご家族の訃報の知らせが投稿されているのを見た時に、初めて意味がわかりました。

「はるかは亡くなったんだ。」と。

だけど、それを受け入れることは今もできていません。

今も、どこかで彼女は旅をしているんです。

きっと、どこかの国が好きになって、居心地の良い環境を見つけたからそこにいるんだ。
ずっとずっと、今も元気に過ごしているんだって。

彼女の旅は今も続いているんです。

26歳の女の子が見た世界の景色

はるかの亡くなった年、2016年の9月に、彼女が旅中に撮った写真と想いを沢山の人に届けるため、友人達と一緒に福岡で写真展を開催しました。

Facebookを通じて、はるかの友人(遠くは名古屋や東京からも)や、直接知らない方も沢山来て頂きました。
嬉しいことに、はるかのご両親にも来て頂き、写真展に来られた方と交流して頂きました。

その時に作ったオープニングムービー


こちらの写真立ては、はるかのご家族・ご友人達で作られたフォトスタンド。
写真展に来られた方にお渡ししました。

はるかのご両親と、写真展のスタッフメンバー

本当に最高な空間でした。

みんなが写真を見て口を揃えていった言葉。

「はるかは本当に笑顔だよね。」

彼女の死は人を悲しませるのではなく、人を勇気づける前向きな力を発している。

誰よりも『今を大切に生きた』彼女は、沢山の人に『生きる力』を与え続けている。

そう、そしてそれは今も、これからもずっと。

沢山の人に僕は届けたい。そう思っています。

>>その後、2018年1月に東京、3月に名古屋でも同様の写真展のイベントを開催しました。

 

5.大切にしている価値観・考え方

◎何事にもチャレンジする

◎深く悩まず、まずはやってから考える

◎自分のためではなく、誰かのためにを先に考える

◎感謝の気持ちを忘れない

◎自分がワクワクするかを基準にして、エネルギーを注ぐ

聖書を勉強していたという土台が強く今もあるせいか、”愛”という言葉にすごく敏感です。

愛とは、端的に恋人同士だけの使う言葉ではなく、全ての人に向けるべき言葉。
どんな人にも、愛情は抱き、注ぐべきものだ。

愛があれば、人は幸せになれる。
人は自分が愛されているという自覚から自尊心が芽生え、幸せという感覚が意識できてくる。

旅をしたい一つの理由には、沢山の人たちの愛の示し方、幸せの在り方を見たい。知りたい。という探究心からです。

 

6.今チャレンジしていること・将来果たしたい夢

セブ島を拠点に、海外フリーランスへ

現在、2017年9月に6ヶ月間のセブ留学を終えてから、セブ島を拠点にフリーランスとして活動しています(2019年1月現在)。

ライター・編集・Webマーケティングを主な業務としています。

具体的には、PR企画、SNS運用、広告運用(Facebook、Twitter、リスティング)、ランディングページの制作、各メディアサイト運営と記事の編集業務などです。
得意とするスキルは、ライティング全般(ブログ・PR・取材・セールスライティングなど)、記事の添削校正、SEO対策、SNSを用いた情報発信、webサイトディレクション、広告運用。

以下、実績紹介(一部)

現在、このブログサイト『Sohmac』では、僕の活動状況など随時更新していきます。

ゆるい更新頻度ではありますが、よければ応援宜しくお願いします!m(_ _)m

もし、お仕事などで、僕にできることがあったらぜひ「お問い合わせ 」ページからご連絡いただけたら幸いです。

お問い合わせはコチラ

近い将来に果たしたい夢

夢は一つだけでありませんが、ここではあえて一つだけ。

僕は、大切な友人はるかの生きたストーリーを本にしたいです!
実際にはるかの回った主要な国はもちろん訪れ、その時の彼女の視点と自分の視点からの想いを綴りたいのです。

人とは何か?人は死んだらどうなるか?どんな生き方をすべきなのか?
世界中で生きている色んな人たちの価値観や生き方を見て回りたいんです。

他にも達成したい夢はありますが、大きく成し遂げたい壮大な夢は見つかっていないので、これからゆっくり考えながら作っていこうかと思います。

今はセブ島生活が長くなっていますが、これからは少しずつ拠点を移していくつもりです(ワーホリは使いたい)!

こんな自分ですが、皆さんに少しでも想いが届いていたら、とても嬉しく思います。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。m(_ _)m